Tamura ヒトハタ
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可能性を狭めない“ここち良い生き方”

映像・写真作家/文筆家 石田 諒(佐久市)

東京都世田谷区で生まれ。2016年に長野県佐久市に移住。視覚や文章での表現を探求しながら、パートナーの中井伶美さんとクリエイティブユニット「換気扇とクローゼット」としても活動されています。石田 諒さんが考える“ここち良い生き方”についてお話を伺いました。

言葉や文章で表現すること

高校卒業後に、専門学校で映像を学び、テレビの制作会社に就職しました。やがて、高校から続けてきた映像作品の自主制作をしていくにあたって、ドラマやドキュメンタリーづくりに必要な教養と、言葉を使った表現について学びたいと考えるようになり、受験をして法政大学文学部日本文学科に入学しました。もともと自分の感情を言葉にすることが好きで、高校時代から日記やブログを書いました。そういったものを、私小説のような“表現”として昇華できないかなとも思っていて。在学中にゼミの中で何本かの短編を完成させたことは大きな経験となっています。現在もSNSは、僕にとって表現の一つだと思っているので、日常的に発信しています。将来的には長編の物語を書き上げることが人生の目標のひとつですね。“文章で表現する”ことは一生かけて学ぶテーマだなと思っています。2020年の秋には、長野県上田市の上田市中央公民館主催「第60回上田市短詩型文学祭・詩(ポエム)の部」で市長賞(大賞)を受賞しました。文章表現を深めた先のひとつの結果をだすことができたのではないかと思っています。

全く想像していなかった地方都市への移住

大学卒業時に、東京にずっと居続けるのかなと考えるタイミングがありました。就職が決まっていなかったことや、当時お付き合いをしていた方が長野に帰るということが重なり、複合的な理由で全く想像していなかった地方都市への移住を決めました。それまで旅行で長野県を訪れたことはありましたが、住む、生活するイメージは全然沸いていませんでした。仕事は一般企業での就職も検討しましたが、企業数が少なくて。全く知らなかった地域おこし協力隊の仕事をたまたま教えてもらい、試験を受けて実際にハタラクことが決まったのは、移住直前です。急だったので引っ越しまで一か月もないという感じで。佐久市がどの程度発展しているのかもよくわかっていなかったので、メジャーなポイントカードやチェーン店の会員カードなどをほとんど東京で処分してきてしまうくらいでした。今となっては笑い話ですが。住んでみると佐久市は東信地方の中でも1、2を争うくらい都会ですし、発展していますね。

外から来て刺激を与える、地域おこし協力隊としての活動

地域おこし協力隊では、望月という地域の文化と中山道の活性化というテーマで勤務していました。具体的には、市民勉強会や地域の文化祭などをサポートしていました。僕は写真を撮ったり文章を書くことができるので、広告物の作成や、SNSでの情報発信などを担当していました。なにか素敵な行事やイベントがあっても、地域の中から情報がでていかないので、佐久市地域おこし協力隊の公式ページのほか、個人のSNSも大いに使って発信していきました。それが仕事なのか、自主的なものなのか、趣味なのかあいまいでしたが、効果としては一番大きかったことかなと思います。SNSによる地域情報の発信は今も続けています。地域おこし協力隊は、外から来てなんらかの刺激を与える役割だと思います。僕は良くも悪くも都会が好きな人だったので、地域にとってはインパクトがあったのではないでしょうか。いわゆる田舎に対する誤解とか、思い込みとかも、少しずつ出して行ったので、反響は大きかったのかなと思います。

地域で需要のある“技術を持った働き方

協力隊退任後の仕事は文筆と写真撮影で、長野県東信エリアの農業と食を紹介するフリーペーパーに写真を撮って記事を書く仕事や、病院や学校のパンフレットの表紙や人物撮影などをフリーランスとして請け負っています。100%県内の仕事です。地域おこし協力隊時代の人づてで依頼していただくことが多く、不思議と途切れていません。仕事ではアーティストとしてではなく、依頼主との信頼関係を築いて、相手の意向を汲みながら進めるというキャッチボールがうまくできているように思います。そう思うと、地域には技術を持っている人材は都会に比べるとまだまだ不足しているので、技術があると需要は高いですね。これから移住を検討される方も、就職だけでなく、独立自営や複業など、自分はこれだけは誰にも負けません、これなら楽しんでできます、みたいなものをもっていらっしゃるとうまくいくのではないでしょうか。

移住後の暮らし方、楽しみの見つけ方

移住をする場合は、もともと田舎暮らしをしたくて来ている方や、旅行で来たことがあって移住を決めたという方が多いと思います。僕は、降ってわいたように佐久に来たので、移住してから、いかにこの地を面白く思うか、魅力を見つけられるかを探し続けました。仕事もあって、遊びもできて、人にも会えるということを探求したが、そのことはおそらく人生そのものですよね。その中で、パートナーとの出会いは大きなものでした。ばりばりのアーティストである妻と出会って、素直に生きよう、ごまかさないで生きようと思うようになりました。二人でクリエイターとしてもパートナーとなり、表現し、作品を創り続けていることはとても豊かなことです。

移住後はアーティスト活動として、自主制作のドキュメンタリー映画の上映会を6回開催した

“ここち良い生き方”について考える

佐久市にきて、パートナーと出会い、“ここち良い生き方”とは何だろうと考えるようになりました。働きすぎずに、楽しいと思うことを増やして行くこと。断る時は断り、これはちょっと難しいですと言えること。反対にこれをやりたい、というときにはいつでもやれるようスタンバイしておくこと。足腰が弱っていくと激しいスポーツが難しいとか、今から歌手にはなれないとか、僕なら文学賞を取るのは難しい、無理でしょうということではなく、いくつになってもやりたいと言えて、周りも応援してくれる。自分も自分を騙すのではなく、これできるよと言えたり、立ち直ったりできる状況。まだ研究中ではありますが、そういったメンタルや状況のあることの総称を、僕は“ここち良い生き方”と呼んでいます。可能性を狭めない生き方ですね。佐久市で暮らす中で刺激的な方にたくさん出会えました。こうでなければいけないという価値観を壊されて、やりたいことをやっていっていいんだな、いつ切り替えてもいんだなと思えるようになりました。そうした経験から、“ここち良い生き方”について考え、発信できるようになりましたね。

視覚とイメージと言葉

換気扇とクローゼット