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故郷で起業 ママと共にママのために
出身地である田村市で一般社団法人Ovalを設立。ベビーマッサージ教室やママのリフレッシュや成長につながる講座を開催。現在はママによるママたちのための防災活動「ママカラ防災」の代表も務める添田麻美さんにお話を伺いました。 東京でキャリアを積み生まれ故郷の田村市へUターン 田村市で生まれ育ち、郡山市の高校に進学しました。当時は、広い世界を見てみたい、早く自立したいという気持ちがあり、高校卒業後に東京でバスガイドとして働き始めました。勤めていた7年間はとても楽しいものでしたが、次第に「福島に帰りたい」と思うようになり、帰郷を決めました。帰郷後はウェディングプランナーとして働き、結婚・出産を機に退職し専業主婦になりました。 出産後に感じていた孤独感からベビーマッサージ教室を起業 子供はとても可愛く、充実した子育て期ではあったのですが、もともと人と接することが好きだったので、家にこもって一人で子育てすることに、孤独感を感じるようになりました。出産が東日本大震災の翌年だったので、災害に対する不安も大きく孤独感は更に募っていきました。そんな時に福島で始まったばかりだったベビーマッサージ教室を知り、通い始めました。震災後ということもあり外出に不安もありましたが、思い切って外にでてみると同じ立場で同じように悩んでいる多くのママたちと出会うことができ、私だけではないという安心感を覚えました。同じ気持ちを持っているママたちが、安心して居られる場所を作りたいという思いから、自分でもベビーマッサージの資格を取得し、子供が1歳になる頃に起業し教室を始めました。その後、事業の拡大に伴い、田村市で一般社団法人Ovalを立ち上げました。 ママたちの声を集めることで始まった防災活動 教室は週に2回、午前中に2組だけというスモールスタートでした。2年目からは会場を借りて受講人数を増やし、利用者数は年間延べ800組に。教室でたくさんのママたちと関わっていくうちに、その場で出るリアルな声が聞こえるようになりました。この声に応えるべく、初めはママたちがリフレッシュできるような講座を増やしたのですが、やがて災害に対する不安をみんなが抱えていることに気が付きました。震災から数年が経ち、当時子供のいなかった女性たちがママになっています。ママになったいま、どうやって災害から子供や家族を守るのか。私自身も防災について全く知識がなかったからこそ、このままではいけないと思い「ママカラ防災」というママによるママのための防災活動をスタートさせました。昨年度は「ママカラつなぐ防災BOOK」という冊子も作成し、経験者や識者を交えた勉強会や情報発信を行っています。 成長するママたちとともに歩む新しい事業 これまで、さまざまな形で母子に関わってきて気が付いたことは、子供たちとともに、ママ自身も成長していくということです。子供の幼稚園や小学校入学のタイミングが、自分を見つめなおす機会になることが多いようです。今後はこうしたママの成長をサポートするような事業も展開していきたいと思っています。具体的には、田村の木材を利用したウッドアクセサリーの開発と制作を考えています。ママたちの楽しみや生きがいになるような事業にできればと思っています。 ヒトとヒトのつながりで支えられている事業 新しい事業のアイデアを発信してみると、すぐに「手伝うよ」「何でも言って」と声がかかるのが田村のよさですね。自分で探さなくても誰かがつないでくれたり、協力してくれる環境があり、ヒトとヒトのつながりがものすごく強いと思います。地域には時には面倒なしがらみもありますが、地域の仲間だからこそ当たり前に協力し合うという雰囲気があります。私は自分が孤独感を感じたときに「あったらいいな」と思っていたものを形にしています。こうしたものでママたちを笑顔にできればうれしいですし、ママたちの笑顔で、自分の取り組みが間違っていなかったんだ、と肯定してもらえています。これからも、地域のママと共に歩んでいきたいと思っています。 ママカラ防災Facebook Twitter Instagram
チャレンジングに切り開く二拠点居住
長野県の移住支援プログラム「おためしナガノ」を利用して、佐久市と東京の二拠点で暮らす谷口絵美さん。現在の暮らしや移住後に新しく取り組んでいる「移動する小さな観光農園」についてお話を伺いました。 山に囲まれた田舎暮らしで感じる幸福感 横浜に生まれ、東京で仕事をしていたこともあり、自分はずっと都会が好きなんだと思っていました。正直にいうと地方での田舎暮らしにはあまり興味がなくて。でも、今住んでいる佐久の祖母の家には、子供の頃から頻繁に訪れていて、夏には蓼科山や八ヶ岳で家族と登山をしていました。中高生の頃は登山から少し離れるのですが、大学生になって山岳部の友人とまた山に登るようになりました。登山の魅力を自分の中で再発見するうちに、あれ?私、都会が好きだと思っていたけどもしかしたら山も好きかも?と気が付いたことは移住の契機として大きかったですね。今はすっかり田舎が好き、佐久が好き。“自宅のドアから一歩外にでると山が見える”という最高の環境で暮らしています。 区の職員からプログラマーへ転身、フリーランスへ もともとは都内で区の職員として働いていました。しかし学生時代からプログラミングに興味があったので働きながらスクールに通い、技術を身に着けました。転職後は会社員として経験を積み、2年前にフリーランスのプログラマーとして独立しました。場所にとらわれずにハタラクことのできるITの仕事を持っていたことは、二拠点居住をスムースに始めることができた要因の一つだったと思います。 Photo:石田 諒 「おためしナガノ」を利用して長野と東京で二拠点居住 「おためしナガノ」という長野県が行っている、都内のIT関連事業者を誘致する公募に採択され、この制度を利用して佐久と東京の二拠点居住をスタートさせました。「おためしナガノ」では交通費の補助を受けることと、地域のコワーキングスペースを利用することができます。ここで、ワークテラス佐久を運営する江原さんや地域の方々とつながりを持てたことが、大きな収穫でした。県が行っている事業ということで地域の方にも比較的認知されており、「おためしナガノで来ています」とお話することで、受け入れていただきやすい環境がありました。二拠点居住のいいところは、いきなり完全に移住するわけでないので、新しい場所へ、最初は一週間ほど旅行に行く感覚で移動し、気軽に暮らし始めることができる点だと思います。でも、いまではすっかり佐久の暮らしが気に入ってしまい、年内には東京の拠点を引き払って佐久に完全移住する予定です。 日本のブルーベリー「アサマブドウ」の魅力を伝える事業 現在はプログラマーの仕事と「移動する小さな観光農園」の二つの仕事を持っています。プログラマーの仕事としては、東京で生まれた仕事を佐久内でもシェアしていきたいという目標があります。とくに佐久には女性でIT関連のお仕事をされている方々がまだ少ないので、コミュニティの中で仕事をシェアする機会や学ぶ機会を作っていけたらと思っています。もうひとつの「移動する小さな観光農園」は、車にブルーベリーの鉢を乗せて移動し、イベントや道の駅などで収穫体験をしていただくものです。この農園では“日本のブルーベリー”と呼ばれている「アサマブドウ」を味わっていただくことができます。アサマブドウはツツジ科スノキ属の高山植物で、正式名称はクロマメノキといいます。叔母の話では、昔は小諸にある浅間山に夜明け前に行って、野生のアサマブドウをみんなで収穫していたそうです。残念ながら、今は国立公園になっているので収穫には行けませんが、佐久ならではの味わいや風土を移動農園で再現したいと思っています。 移住のハードルを下げる“切り込み隊長“として 移住や多拠点居住にハードルを感じる方もいらっしゃると思いますが、私が実践することで「こんなことやっても大丈夫なんだ!」と感じてもらえるといいなと思っています。佐久移住の切り込み隊長的な役割が担えたらうれしいですね。悩んでいたり、迷っている方には、「まずは地域でいろいろなことを少しずつやってみるのがおすすめですよ」とお伝えしたいです。私が佐久暮らしを楽しんでいることが、移住のロールモデルのひとつになるように、山を登る時と同じチャレンジングな気持ちで切り込んでいきたいと思っています。
子供たちの自然を受け継ぐ意思を育む
2018年に千葉県から群馬県みなかみ町に移住した神崎憲一さん。みなかみ町での約一年半を過ごした今、暮らしの中にある楽しみや、ハタラク意識の変化についてお話を伺いました。 「毎日迎える朝が変わった」みなかみ町での暮らし 移住して一番変わったことは、毎日迎える朝の心地よさですね。僕の家は小高い丘の上にあって、町が一望できる場所にあるのですが、朝、窓を開けたときの景色や空気がこれまでの暮らしとは全く違います。気持ちのいい朝を迎えられるとその日一日のコンディションも違います。テレワークセンターMINAKAMIのコワーキングスペースを借りて仕事をしているのですが、自宅から車で10分程の移動中も町の景色を眺めることでリフレッシュする時間になっています。 みなかみ町を知ってから1年で移住 ある時、偶然メールでみなかみ町のイベントがあることを知りました。その日はたまたま会場の近くで別の予定があったので、なんとなく参加して話を聞いて「なかなかよさそうだな」と感じました。初めて町を訪れたのは雪の季節です。よく晴れた日で、一ノ倉沢を望む素晴らしい眺望の場所に案内してもらいました。その景色や町の空気感に惹かれて、みなかみ町に通い始めるようになりました。通い始めて5回目に、農泊をさせて頂いたのが最終的な決め手となり、町を知ってから1年後には移住しました。それまで田舎暮らしには全く興味がなかったのですが、みなかみ町にはなぜかとても惹かれるものがありました。ヒトとの出会いもよかったですし、同じ頃に県内の予備校の仕事に誘われるなど、さまざまな縁がタイミングよくつながったことも大きかったですね。 さまざまな子供たちを教育でサポート 現在はフリーランスで子供たちの教育に関わる仕事をしています。大学時代から塾の講師として忙しく働き、30歳を過ぎた頃には管理職になっていて、子供たちを教える現場から遠ざかっていました。子供たちに教えることは予測不能な部分も含めてとても楽しいものです。「やはり現場に戻ろう」と勤めていた塾を退職しました。今は、フリーランスの講師として塾で教えたり、家からでられない子供たちの学習支援を行うようになりました。 子供たちが伸びやかに笑える「サードプレイス」をつくる 将来的には、子供たちが安心して、笑って、走って過ごせる場所をつくりたいと思っています。子供の時にのびのびと過ごした経験は大人になっても生きてくると思うんですよね。転がり落ちてきたら受け止めるから、行っておいでと子供たちにいえる場所。僕が通っていた中学校は先生方が非常におおらかで「こういうことをやってみたい」というと「じゃあ、どうなるか自分たちでやってごらん」と自由にやらせてくれたんですね。そういう原体験があるので、箱の中に閉じ込めるのではなく、子供たちが自由に挑戦できる“子供たちの居場所”“子供たちのためのサードプレイス”を作りたいと思っています。 https://www.youtube.com/watch?v=YCFy1WGTsfg 子供たちにも伝えたい、みなかみ町の自然環境を受け継ぐこと みなかみ町に来て、時間に追われる感覚がなくなりました。「これをしなきゃ、あれをしなきゃ」というよりも、「明日は一ノ倉沢までハイキングだから、これをやっておこう」という感じのメリハリに変わりました。先日も朝6時から7時までカヌーに乗って、その後に仕事をしました。みなかみ町では自然と暮らしとハタラクが隣り合わせです。こうした暮らしを経験したからこそ、この町の自然環境は受け継いでいかなければならないものだと感じています。教育を通して関わりながら、この自然を大事に受け継いでいこうという子供たちの意思を育んでいくことができればいいなと思っています。「何にもないけど、何でもある」それがみなかみ町ですね。
ヒトが豊かに生きるインフラを創る
長野県佐久市にあるワークテラス佐久を拠点に、コワーキングという働き方でコミュニティや居場所づくりに取り組んでいる江原政文さんにお話を伺いました。 フラットな人間関係が成り立つ、コワーキングの面白さ 僕は佐久市出身です。大学進学で松本市に行き、そのまま就職して15年ほど住んでいましたが、5年ほど前に会社を辞めて、佐久市に戻ってきました。そのころ長野県内にコワーキングスペースができて、出入りするうちにコワーキングの面白さに気がつきました。フラットな人間関係の中で、ふっとプロジェクトが立ち上がったりする感じが面白かったんですね。そこで4年前に、自分でも佐久市内でコワーキングスペースを始めました。建物の関係でその場所を離れなくてはならないとなった時に、ワークテラス佐久が立ち上がることになり、いまはこの場所でコワーキングスペースを運営しています。 みんなで耕しみんなで創る「うちやまコミュニティ農園」 昨年は、内山地区にコミュニティ農園をつくりました。区画貸しの農園ではなく、みんなで耕して、みんなで創る。コミュニティで「農」することを目的にしています。耕作放棄地の問題や、農業についての学びや承継の意味合いもありますが、農を通して「もうひとつの居場所」をつくることもできています。参加者は職業もばらばらですし、県外から通っている人もいます。ここにもコワーキングの概念が当てはまるのではないかな、と思っています。 ヒトが豊かに生きるインフラと内在するコミュニティ 僕は、ヒトが豊かに生きるインフラを創りたいなと思っています。豊かに生きるとはどういうことか? を考えると、マズローの「欲求5段階説」みたいなものが満たされている状態かな、と思っています。農園があることで、生理的欲求や安全欲求が満たされ、居場所があることで社会的欲求が満たされる。コワーキングが夢を実現する場であれば、尊厳欲求や自己実現欲求が満たされる。そういう両輪を創っていきたいですね。大人になってもチャレンジする人がたくさんいる地域は楽しくなると思います。魅力的な大人が交差する場所としてコワーキングスペースがあり、その中にいい距離間のゆるやなかコミュニティがあることが、豊かに行きるインフラではないかと思っています。 都市部からのチャレンジとローカルコミュニティの可能性 佐久市のこれからについては、都市部からチャレンジしにくる方とローカルコミュニティをつなぐことで、面白いかかわりが生まれるサポートをしていきたいと思っています。佐久市ではコワーキングスペースでの仕事を持ちながら農業や林業に関わる暮らしも実現可能なのです。コミュニティを開いて多様な未来を皆さんと創っていきたいですね。
暮らしの中で、遊んでハタラクお手伝い
群馬県・みなかみ町にあるテレワークセンターMINAKAMIを拠点に、地域での起業や移住にチャレンジする方のお手伝いをしている鈴木さんにお話を伺いました。 山のある暮らしを求めて大阪からみなかみへ 出身は大阪です。もともとスキーやスノーボードが好きで、山のある暮らしをしてみたいと思っていました。妻と結婚してから、まず長野県の小諸に移住し、その後に地域おこし協力隊としてみなかみ町に来ました。3年経ったいまは、地域資源を活かした起業や地域活動などローカルベンチャーに取り組みたい方の支援を行う、一般社団法人FLAPを立ち上げました。また、町の観光業や地域事業者さんのWEBマーケティングや広報のお手伝いをしています。 町中を遊びつくす! みなかみ町での暮らし 利根利根川の源流域にあるみなかみ町は何といっても水がおいしい! 野菜も直売所で安く購入することもできますし、町内には温泉が多数点在しています。また、ウインタースポーツはもとより、カヌーやサップ、キャニオニング、ラフティングなども楽しむことできます。一年を通して町中でさまざまな遊びを楽しむことができることは、僕にとっては大きな魅力ですね。また、車で隣町にいけばファーストフード店やドラッグストアなどもあり、思いのほか便利です。僕がが住むエリアは雪も少ないので、想像されるよりも生活はしやすいですよ。 家族に合った暮らし方が模索できる二段階移住 大阪時代には結婚していたので、妻と一緒に移住をしています。その間に子供も二人生まれました。今振り返ると、いきなり本格的な田舎暮らしに飛び混まず、やや都市部の小諸を経たあとに、より自然の多いみなかみ町と段階を経て移住したことは家族の負担を考えるとよかったのかもしれませんね。 役割はみなかみ町で「ハタラクヒト」の背中を押して いまは、みなかみ町のローカルチャレンジサポート事業として、みなかみ町の資源を生かして、地域で活躍してくれる人たちのお手伝いをしています。「こんなことをやってみたい!」というプレイヤーの想いを聞き、必要な場所や協力者の紹介など起業に必要なみなかみの町の資源や人材と接続するお手伝いをしています。どんな形でも「なにかをやりたい!はじめたい!」というプレイヤーの想いを大切にして伴走し、地域で活躍できる場所を一緒に創り上げています。 「ヨソモノ」を受け入れてくれるチャレンジしやすい地域 みなかみ町はもともとアウトドアなどに従事する移住者の方も多く、いわゆる「ヨソモノ」を受け入れてもらいやすい雰囲気があります。何かを始めたいという気持ちが起こったら、まずは僕たちにご連絡ください。みなかみ町でその想いを実現させるために、僕たちも一緒に一緒に走ります!
幸せに生きていくためのハタラクを考える
福島県・田村市にあるテラス石森を運営し、地域に集うヒトとハタラク価値や魅力づくりを行っている、久保田さんにお話を伺いました。 震災で考え直した、自分の生き方働き方 僕は田村市の出身です。デザインを仕事にしたいと思っていたので、郡山の専門学校に進学し、卒業後に広告代理店に就職。デザイナーとして13年程働いていました。仕事を続けていく中で、震災を経験し、これまでの働き方に疑問がわいてきました。40代、50代と年を重ねていく中で、どう働いていどう生きていくのか考えるようになったんですね。そのうちに一つの答えとして「地元で働きたい」「地元に新しい仕事を作りたい」と思うようになりました。ちょうどその時に、テラス石森を運営する人材を探しているという話を聞き、「これだ!」と感じたので引き受けることにしました。 テラス石森に集まるヒトと共に いざ運営を始めてみると、テラス石森にはとてもユニークな人たちが集まってきてます。企業の方や起業家の方、副業の方など多様です。集まってきたヒトたちがつながることで、新しい事業も次々に生まれています。最近では田村市の魅力を再発見する事業も進めています。田村市に当たり前にあるものが、実は外から見たら魅力的なものなんじゃないかな、と思って。特産品や名物品の企画開発が進んでいます。この事業はぜひいろんな方から意見をいただいて一緒に創り上げていきたいですね。 地域や地元でハタラク価値 豊かに生きていくことを考えてみると、お金だけではないのかなとも思います。場合によってはお金で苦しくなってしまうこともあるので。物々交換やお互いの得意を交換しあうことも、自分がハタラクことで、生みだせる価値なのではないかと思っています。地域では、お金以外のこうした価値が生活を下支えしてくれることもあるので、少しくらい収入が減っても暮らしていける。こういうことが豊かに生きることにつながるのかなと思っています。 子供たちがハタラクを学ぶ場として 自分の経験から感じていることなのですが、地域は都市部に比べて、子供たちがさまざまな意味で学んだり経験したりする機会が圧倒的に少ないと思います。そのため、今後はテラス石森を教育拠点にもしていきたいという希望があります。小さな子供もそうですが、中高生くらいの子供たちが職業体験をする場としても活用していきたいですね。テラス石森に集まっている多彩な企業や起業家を知ることで、子供たちの職業感も広がるでしょうし、将来の選択肢も増えるのではないでしょうか。 大切なものを大切にしてハタラクために ヒトの働き方にはその時々によって大切にしたいものがあって、それはライフステージによって変化していくと思います。その時に大切にしたいものを大切にしながら働いていくことを僕たちは実現したいと思っています。テラス石森では自分を大切にしながらハタラクことが可能です。新しい挑戦をする場と仲間が待っています。